糸魚川大所の木地屋は、江戸時代末天保8年(1837)に大所の地で集落を形成し、
定住農耕の生活に入りました。
9戸の集落ですが明治には木地だけでなく漆塗りの技術を導入して漆器の製造もしました。
現在は、<木地屋民俗資料館>で足跡を見ることが出来ます。
木地屋の盛衰
大正、昭和の初期にかけては、最盛期を迎えた漆器業だったが
日中戦争・太平洋戦争により漆の入手量が減り販売も不振となり
後にベークライト等の安価な素材の普及により衰退していった。
しかし、豊かになった現在は、木製品の良さが見直されている。
木地師のルーツ
木地祖神として第55代文徳天皇(850~857)の第一皇子惟喬親王を祭っている。
発祥の地として近江の国愛知郷小掠の庄蛭谷と伝承されている。
木地師の姓に小掠が多い。木地屋は全員が小掠姓です。
大所の木地師は、近江から飛騨へそして大所へと住まいを変えてきました。